武州多摩歴史探訪

東京都多摩地区の史蹟や神社仏閣の訪問記を豊富な写真で紹介しています。

童謡「夕焼け小焼け」探訪(3)八王子市上恩方町の萬蔵山興慶寺

2020.05.20 (Wed)
上恩方地図
↑八王子市上恩方町の臨済宗南禅寺派の寺院、萬蔵山興慶寺を訪問しました。恩方には「下恩方」と「上恩方」がありますが、上恩方は相当な奥地でした。

自分は、八王子市上恩方町出身の作詞家、中村雨紅先生作の童謡「夕焼け小焼け」歌詞の「山のお寺の鐘が鳴る〜」の「山のお寺とは、どの寺なのか?」に興味を持ち、宝生寺(筆者の訪問記は、こちらから)と観栖寺(筆者の訪問記は、こちらから)を訪問した後、興慶寺を訪問したわけです。


陣馬街道から
↑陣馬街道から北に入り山へ向かいつつ、自分は「いかにも山のお寺じゃないか!」と思いました。


総門かも?
↑総門に到着。参道に覆い被さるように斜めに生えた松の木が印象的でした。


墓地横の坂道
↑興慶寺墓苑横の坂道を登って行くと、山門の屋根が少し見えました。


山門前の階段
↑山門前の階段は、なかなかの斜度でした。


山門の前
↑残念ながら、山門は潜れませんでした。


山門の扁額
↑山門の扁額は、山号の「萬蔵山」と思われます。


山門全景
↑山門全景。


本堂と客殿
↑本堂は大きくて立派でした。


本堂横
↑横で撮っても全体が入りませんでした。広角レンズが欲しいです。


本堂で参拝
↑参拝しました。


輪違紋
↑山門や本堂など、至るところに輪違紋(わちがいもん)がありました。輪違紋は真言宗豊山派の宗紋ですが、ここは臨済宗です。

なぜ?と思いますが、お寺の公式サイトが見つからないので、残念ながら寺門の由来は不明です。


本堂の右横
↑本堂の右側、客殿と思われる建物の横には、屋根が銀色に輝く大きな建物がありました。

因みに興慶寺では、月1回(土曜の19時〜21時)無料の坐禅会が開かれているようなので、坐禅堂かもしれません。


鐘楼へ
↑境内右側から鐘楼へ向かいました。


階段右側の石碑
↑途中に歌碑がありました。


歌碑拡大
↑歌碑は「ふる里と母と」でした。聴いたことないですし、どんなメロディーなのか?全く分かりませんが、以下に転記しました。
 
作詞:中村雨紅/作曲:海沼実
 
今も帰ればふる里の 岡に残る与 傘松よ 
村のはずれの閻魔堂
ねんねこさらさらどんとろり
川の瀬音も子守唄
 
おいしそうでもへび苺
きれいな実でも牛殺し
その葉取るなよ実をとるな
いつもやさしくあたたかく
いまも聞こえる母の声
 
雨紅書


総門かも?
歌詞に「岡に残る与 傘松よ」とありますが、総門の傾いた松の木のことか?と思いました。


歌碑の裏側
↑歌碑の裏側には「梵鐘再建の機縁をつくられた中村雨紅先生に感謝し 愛誦の作を刻み詩碑を建つ」
 
昭和四十五年十一月二十五日
興慶寺鐘楼建設委員
外 檀信徒一同、と刻まれていました。


鐘楼1
↑鐘楼は腰曲輪状の狭い削平地に建っていました。鐘楼の他には何もありませんでした。


梵鐘裏側
↑梵鐘には、以下の歌が刻まれていました。

興慶寺と このみ寺の鐘の音を
今日も安らに聞くぞ嬉しき
 
中村雨紅
 
中村雨紅先生は「歌詞の “山のお寺の鐘” は、○○寺の鐘である」と言ってしまうと、ガッカリしてしまうお寺もあるので、敢えて言及しなかったのかもしれないと思いました。
 
自分は興慶寺を訪問し、陣馬街道から見た「山のお寺」の印象と、歌碑と雨紅先生の詩が刻まれた梵鐘のある興慶寺、こそ「山のお寺」だと思いました。先生の生家跡(この付近の宮尾神社)に最も近いし…。

しかし、先生が八王子駅から上恩方の自宅へ歩いて帰る途中に(昔はバスが走っていなかったそうだ)日が暮れて鐘の音を聞いたようで、本当にどこの寺の鐘か?ハッキリとは分からなかったのかもしれないとも思いました。


鐘楼からの風景
↑鐘楼から見た陣馬街道方面。日本の山里の原風景と言えそうな感じでした。

というわけで、どのお寺の鐘か?結論は出なかったわけですが(笑)せっかくなので、次のページで中村雨紅先生の生家跡に建つ宮尾神社(住吉神社 琴平神社 号社)と先生の墓所を紹介したいと思います。

閲覧、ありがとうございました。
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